去る3月11日、我が国において巨大地震が発生いたしました。
東日本巨大地震。
今もなお、多数の被災者の方が避難所や医療機関、学校などの公共施設で肩を寄せ合って、不自由な生活を送られています。
また、今回の地震は原発問題をも引き起こし、被害は拡大しているのが現状です。
西日本に住む私たちには、いったい何ができるでしょうか?
ひとつには被災地の方への思いを内に秘め、経済活動を行って日本を支えていくことです。そして、東京の首都機能が円滑に行えなくなった場合のことを考え、関西・大阪が東京をバックアップする副首都としての役割を果たす時がきています。
今こそ、「副首都構想」の実現に向けて、本格的に取り組む必要があります。
昭和40年代、祖父・左藤義詮(当時、大阪府知事)は「(東京・大阪)二眼レフ論」を提唱し、 副首都として大阪の都市機能を整備し、国づくり・都市づくりを行う考えを示しました。 日本を東京と大阪の両輪で支えていこうとする考えです。 その後、黒田氏の府政となり、結果的には、当時に比べ東京と大阪の格差はますます広がってしまいました。 今では、大阪は一地方都市に過ぎないと言われています。
私は、2004年に超党派で組織された「危機管理機構(NEMIC)推進議員連盟」の事務局次長を行っていました。 この議員連盟のなかでも危機管理上、副首都構想は議論として取り上げられ、 当時から大阪伊丹空港や万博公園(エキスポランド跡地)などが候補地として挙げられていました。
候補地の選定条件としては、まず交通インフラ・アクセスの良い場所。 つぎに各省庁の受け皿となる施設を建設できる用地と充分な都市機能を備えていること。この二点が挙げられます。
副首都としての役割を大阪が担うことになれば、経済発展にもつながりますし、文字通り 両輪の一つとして日本を支えることができます。
関西・大阪のポテンシャルはまだまだ高いものがあります。今一度、副首都構想を熟考し、実現に向けて走り出したいと思います。