先月末、日本維新の会が「副首都構想」を連立参加の条件として掲げたことは、皆さんもニュースなどでご存じのことと思います。そこで今回は、私の政治家人生における「副首都構想」への関わりについて記しておきたいと思います。
■ 副首都構想の始まり
時を遡ること2004年、故・石井一参議院議員(兵庫県/当時・民主党)から、竹下亘先生(島根県/自民党)、田中和徳先生(神奈川県/自民党)、そして私(左藤章)の3名が呼び集められました。
石井先生からは、「危機管理都市推進議員連盟」を超党派で設立するので、その事務局を担ってほしいという依頼がありました。
当時、「今後20~30年以内に首都直下型地震が発生する」と盛んに指摘されており、首都機能が麻痺すれば日本全体が機能不全に陥る危険性がありました。そこで、首都機能を補完する「副首都機能」をどこかに整備する必要があると考え、議員連盟を立ち上げることになったのです。
■ 伊丹空港再開発構想と大阪副首都案
議連ではまず、国の地方支分部局が多く存在する6都市――札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡――を対象に検討を進めました。
当然ながら、私は地元・大阪へ、石井先生も関西圏への設置を望んでいました。
当時、1994年の関西国際空港開港に伴い、伊丹空港(3.11㎢)は廃港の可能性が議論されていました。石井先生は、この跡地を副首都拠点として再開発する構想を描き、シンポジウムを開催し、当時の橋下徹大阪府知事にもその構想を伝えました。
2009年には、橋下知事からも伊丹空港の再開発や跡地を「日本の新都心」とする構想が発表され、注目を集めました。
しかし、最終的に伊丹空港の廃港は見送られ、構想は頓挫しました。
■ 防災リスクの再認識と構想の中断
その後、2013年に石井先生は政界を引退されました。一方で、国では「国土強靭化政策」や首都圏の防災・インフラ整備が進展していきました。
さらに専門家の間では、首都直下地震と南海トラフ巨大地震が連動する可能性も指摘されるようになり、南海トラフ震源域に近い大阪・名古屋が甚大な被害を受ける恐れがあると考えられるようになりました。
実際、大阪市のハザードマップでは梅田や難波周辺も浸水想定区域に含まれています。
こうした防災リスクの高さから、「大阪に副首都を置くことは現実的ではない」との見方が出、結果的に「大阪副首都構想」は事実上中断されました。
■ 維新の「副首都構想」と「都構想」の混同
先日、日本維新の会が発表した「副首都構想」の骨子案では、副首都の指定条件として「特別区」の設置(いわゆる「都構想」)などが挙げられています。
しかし、「副首都」と「都構想」は全く別の概念です。たとえ大阪に副首都機能を整備するとしても、大阪市を廃止して特別区を設置する必要はありません。
過去に大阪市を廃止して特別区を設ける「都構想」は、2度の住民投票でいずれも否決されました。
特別区を設置する場合は「大都市地域特別区設置法(大都市法)」に基づいて再び住民投票を行う必要があり、その都度多額の費用がかかります。
行政コストの増大や住民サービスの低下も懸念されることから、私は特別区の設置は不要であると考えます。
■ 結語
副首都構想は、本来「首都機能の分散と国土の安全保障」を目的としたものであり、「都構想」や「政令指定都市制度」とは本質的に異なります。 今後も、政治的思惑を超えて、国家的視点から冷静に議論されることを期待します。